アップビート・ネオポップ
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ここでの問題は、「アップビート・ネオポップ」という概念を考えてみた時、私たちアーティストや美術評論家が、一体どんなことを話しているかということです。

1950年代後半から60年代にかけてのポップ・アートの出現以来、私たちは、これまでずいぶんと長い道のりを旅してきました。この充実した活気に満ちた旅は、イギリスでの新ロマン主義や、アメリカでの抽象表現主義を経て、ポップ・アートの初期時代にまで続くのです。そして、私たちは、今や、ネオ・ポップの時代に、存在しているのです。

それでは、まず、ポップ・アートに関する、今までの概念を解釈し直すことから始めましょう。今までの概念と現存するスタイルとのつながりは、昔も今も、強化されてきました。私たちは、知識と理解の新しい局面に、これまで、全力でぶつかってきました。そして、今、新しい形でのコミュニケーションを経験し始めています。草創期は終焉を迎え、活気に満ちた新しい概念は、私たちの存在の一部にまでなっているのです。例えば、日本で村上隆が提言した「スーパーフラット」、アメリカで重要な役割を果たす、ロメロ・ブリットのネオ・ポップ、ジェフ・クーンズのシリーズ「イージーファンエーテル(天空の歓喜)」に見られる、楽しみとファンタジーを融合した、ポップ・アートの新ブランド。これらの芸術の誕生を、私たちアーティストは、祝福しているのです。

「アップビート・ネオポップ」は、レイ・ハイントが提唱する概念で、その暗示的意味から、オーストラリアの若い学生や学者の関心を集めています。明るく楽天的だから「アップビート(陽気)」なのです。人類は、これまでずっと様々なイメージに取り囲まれてきました。そのイメージの多くは、想像力に欠け、攻撃的で、腹立たしくさえあるのです。私たちアーティストはここで立ち止まって、こう問い掛けなければなりません。「本当にこのイメージが好きなのか。ここが自分のいたい場所なのか。どこへ行こうとしているのか。」つまり、私たちの存在という根本的な疑問に取り組むことになるのです。「私たちは、どこから来たのか。今どこにいるのか。どこへ行こうとしているのか。」アーティストとして、私たちはこの問いに答えることができなければなりません。私たちの住むグローバル社会、多文化的な生活スタイルは、鮮やかな色彩に満ち、明るい社会なのです。周りを、ちょっと見渡してみてください。

作品の制作に伴う描画のアイデアは、1960年代に始まった、ネオ・ポップの前身のスタイルに関連性があります。このアップビート・ネオポップでは、シンボル、ハード・エッジ、多量の色の混ざらない彩色、装飾に価値が置かれ、立体的に描かれています。大衆文化は、常に変化を遂げ前進しているので、シンボルの意味することは、その変化に伴って理解することができるのです。

シンボルは、理想世界を作り出すため使われています。その理想世界は、私たちがアーティストが自由に実験し、遊ぶことのできる安全な環境なのです。私たちは、ポップ・アートの初期時代の記号をどこかに置き忘れてきています。その記号のいくつかは、消耗品や食料品に使われてきました。(例えば、スープの缶がその例です。こうしたシンボルは、企業世界やコンビニエンス・ストアーと関連しています。)また、私たちの意図は、変化してきました。象徴的なイメージ、特に、大衆文化の製品といった象徴は、遊び感覚の奇矯な要素を取り入れています。また、動物界のイメージは、依然として、重要視されています。動物のイメージは、人間の生命に匹敵する、また別の生命がこの世に存在することを、思い出させてくれるのです。絵画の中のシンボルは、時々、物語への方向性を示す案内役として登場し、私たちが個人的に心に抱く、神話を思い起こさせるのです。つまり、こうした神話は、(たとえば歴史といった)過去の出来事や個人的な過去の経験(創作者の潜在意識)から、または、まったく特別な場所でもないところ(人類には未だ理解されていない出来事や場所)からも、生み出されている可能性があるのです。描くことは、アーテイストの旅の行程であり、その結果生まれた作品は、経験してきたことの比喩なのです。アップビート・ネオポップの世界では、私たちは、現実と幻想の世界の狭間に存在しています。その空間は、私たちがさらに前進し、作り出した創造の世界という監獄から、いつでも抜けだすことのできる場所なのです。まるでトカゲが、変わったばかりの新しい季節に合わせて、脱皮して先へ進むのと同じようにです。

装飾的な描画表現も、理想世界のアイデアに調和しています。おそらく、この理想世界は、幼児期に似た世界といえるでしょう。絵の中に見られる装飾の要素は、遊びを作り出す能力を、私たちが持っていることを思い出させてくれるのです。また、その遊びは、恐れのない世界で暮らす子供たちだけに、知られている種類の遊びなのです。この理想世界では、あらゆる事象はいまだに固定しておらず、道はつねに開いています。つまり、新しい概念が把握され、理解される世界なのです。

ハード・エッジと完璧なデザインは、私の提唱する概念の中心に位置し、南オーストラリア州の「レッド・リップ・スタジオ」で誕生しました。作品は、今、三次元で、「ウォーホール」の作風から進化しています。画風はごちゃごちゃと詰まっています。そのねらいは、作品の縁に見られる緊迫感と、シンボルとにかかる圧迫した幻想を、絵画の中に作り出すことなのです。作品を額に入れると、額縁にさらなる緊迫感が生まれるので、額は作品の不可欠な一部になる必要があります。また、イメージを構成することは、今も重要なことです。しかし、私たちは、今、ただ単なるイメージの構成というよりもむしろ、五感で感じる意味を構築することに、より強い関心を抱いているのです。ポップ・アートの過去のリズムは、ここでも感じられますが、同時に、アップビートで、感情に訴えかけるものなのです。過去は、単なる線上の経験としては捉えられないため、創造性が枯渇することのないこの世界に、多面的に存在しているのは、複雑なヴィジョンそのものなのです。

色彩は、生命です。色彩は、人類が2000年を経て理解しようとしてきた神秘で、今でも、なお神秘なのです。私たちは色彩に依存してきただけでなく、色を知覚することで、色彩に強い影響を受けてきました。もし風景に色彩がなければ、私たちは風景を死んだものと感じます。同様に、絵に色彩が欠けていれば、絵は生命のないものに見えるのです。コンビニエンス・ストアーや企業世界と私たちをつなぐ、明るく生き生きした色彩は、楽しいしい色合いで、ポップ・アートが何であるかという先達者たちの概念ともつながっているのです。キャンバスは、鑑賞者(観者)の目の前で視覚的に爆発し、観者の五感を楽しませ、何度も何度も絵を見るよう、また絵のさらに向こうを見るよう促すのです。この感覚の高まりは、色彩、空間、風合い、装飾的な描写法が相乗して成し遂げられ、観者は、肉体的な経験を超えて、絵から何かを感じ取り、自己の精神状態を探り、追求することになるです。

制作過程に関連するアイデアは、複雑性という概念と関係があり、ジャスパー・ジョーンズの教示と発見にさかのぼります。

『自然界のあちこちに、見るべき何かが存在しています。私の作品には、視線が焦点を変えるのとよく似た可能性が含まれています…一般的に、私は、単純という概念に関連する作品とは、対極の立場にいます。というのも、全ての事物は、私には、とてもごちゃごちゃして見えるからです。』1959年、ジャスパー・ジョーンズ(16人のアメリカ人:ニューヨーク近代美術館、1959年)

今、私たちは神秘そのものを描こうと試みており、神秘は複雑なものです。この試みは、商業界の想像力に欠ける世界で作られた、平坦な二次元世界と対照を成すもので、アーティストにとって、不確かさのなかの経験なのです。芸術作品を作る際、選択肢は無限にあるため、混乱と無秩序が存在します。変化は、生活の避けられない一部で、芸術世界で進化しつづけるなか、変化に対応できる心の状態を発達させようと、私たちは日々奮闘しています。混沌、無秩序、不確かさの中から、新しい着想や解決策がおのずと生まれ、人類に未来への新しい道を提供するのです。

絵画は、私たちをアイデアと物語に出会わせてくれる、コミュニケーションの案内役なのです。私たちは再び過去と結びつき、ここで出会う物語は、他者との重要な橋渡しでもあるのです。私たちは、私たちの周りにいる人たち、他の土地に住む人たちとつながっています。物語の多くは普遍的なものです。今までにないほどの、グローバルなこの文明社会で、私たちは、伝達手段という共通点を探しています。画家の描くシンボルの世界は、私たちに安全に遊べる場所を提供しているのです。ここでは、楽観的な希望の世界と、私たちが行きたいと望む場所への地図を作り出すことができるのです。つまり、理想の世界に旅する前に、願いを抱くことは可能なのです。この一組の作品のなかで、中心的な肖像は、オーストラリアの「アート・アンド・オーストラリア・マガジン」の3月号に掲載された「プリンセス・ネオポップ」です。このお姫様は、正真正銘のオーストラリア人で、多文化社会で育った若い女性で、人生に迷いながら、いつもきらびやかな色彩の庭園にいるのです。このお姫様は、茶目っ気のある話し手であり、深遠な価値を結びつけ、つなぎ、いつも現在にいながら、無限大の可能性を考え、将来を見据えています。お姫様の住む世界は、人類の経験世界なのです。その世界には、神秘的な魔法、冒険、未知の未来が、人生経験の中心として存在しています。このお姫様は、大衆文化のなかで作られた、既知の全てのものと対照を成し、それゆえ観者から、既知のすべてを、取り除くのです。

「ジョワ・ドゥ・ヴィーヴル(生きる喜び)」は、作品中に染み渡り、愛、喜び、好奇心といった肯定的な価値を強調しつつ、比喩的な制作過程を通して表現されています。作品の中で、人類の体験全体は、様々な哲学の学派を一つにまとめることにより、その価値が、高められています。ここでの体験は、アイデアが特別な論理によってではなく、本能的に結びついている思考の過程を意味するのです。だからこそ、ここに提起した概念は、私たちの多くが暮らす、皮肉的で攻撃的な世界とは、著しく対照的に感じられる場所に、観者を導くことができるのです。これが、「アップビート・ネオポップ」の世界なのです。

レイ・ハイント

 
   
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